環境問題、とりわけ化学物質の規制に関するキーワードに「予防原則」という言葉が使われることがある。
インターネット上でその定義を探してみると、さまざまな使われ方をしているようなので、どのような文脈で使用されているものか、注意が必要である。
1. 歴史的に多様な使われ方をしてきたという現実を踏まえて、用例は示すがあえて定義しない、というケース。
a.(European Commission, 2002 [PDF])"In most cases, measures making it possible to achieve this high level of protection can be determined on a satisfactory scientific basis. However, when there are reasonable grounds for concern that potential hazards may affect the environment or human, animal or plant health, and when at the same time the available data preclude a detailed risk evaluation, the precautionary principle has been politically accepted as a risk management strategy in several fields.
To understand fully the use of the precautionary principle in the European Union, it is necessary to examine the legislative texts, the case law of the Court of Justice and the Court of First Instance, and the policy approaches that have emerged."
(多くの場合、満足すべき科学的な根拠に基づいて決定されうるこの高度の予防は測定によって達成可能である。しかし、潜在的なハザードが環境あるいはヒト、動物あるいは植物の健康に影響するかも知れない合理的な根拠がある場合であって、そして同時に、入手できるデータに詳細なリスク評価に関するものが含まれない場合には、幾つかの分野では予防原則リスク管理の戦略として政治的に受け入れられてきた。
EUにおける「予防原則」の使われ方を十分に理解するには、法律の文章、法廷と第一審裁判所の判例法そして、発生してきた政策的な取り組みを十分に検討する必要がある。 )
b. 「化学物質のように、何十年という単位で影響が人体、または環境に現れるもので は、原因と被害の因果関係を直ちに、100%明確にすることは不可能に近いです。 しかし、信頼できる研究結果に基づいてその因果関係を、例えば70%証明するこ とはできたとします。これを「科学的に証明されていない」としてその規制を先 延ばしにすれば、将来、状況は取り返しのつかないものになるかもしれません。」グリーンピース「予防原則ってなに?」勉強会報告

c. 国際条約や協定における「予防」の現状の取り纏め。(環境省環境政策における予防的方策・予防原則のあり方に関する研究会報告書
この文書には次の様な興味深い記述があります。「また、いずれの文書も、対策の内容について以下のような原則の必要性を指摘している。 ?比例原則:措置は、望まれる保護水準と均衡したものでなければならず、ゼロリスクを目指すものであってはならない。」

a.b.c.いずれも、「リスク管理」のひとつの手法として、あるハザードに対するリスク評価が十分行われていない場合には、「リスク有」と一定の仮定をおいて対処する考え方を、「予防原則」と呼んでいるようです。

2. 定義しているケース。
a. 潜在的なリスクが存在しているというしかるべき理由があり、しかしまだ充分に科学的にその証拠や因果関係が提示されない段階であっても、そのリスクを評価して予防的に対策を探ること」(化学物質と予防原則の会: 応用倫理学講義 2環境 セミナー3 リスクの科学と環境倫理(鬼頭秀一116-138)p130 岩波書店

2.-aでははっきりと、「化学物質に限って考えるなら、ヒトに重大な有害性や不可逆的な有害性を与えると判断できる要素があり、リスクアセスメントが行われた結果、多くの不確実性を含んでいるため、必ずしも科学的に因果関係が証明できないが、予防的に規制した方がよいと判断出来る場合に、「予防原則にもとづいて」、規制を行う、というように用いられる言葉です。」としており、リスク評価を前提としております。

さて、以上の現状から見て「予防原則」についてのコンセンサスが得られそうな考え方とは、「合理的な判断に基づいて潜在的なリスクが想定される場合であって、なおリスク評価が十分に済んでいない場合に、そのリスクを一定の値と仮定して、施策を行う場合あるいは行わない場合のコストと対比する意思決定のルール」といったところでは無いでしょうか。「施策を行う場合あるいは行わない場合のコストと対比する」という点については「施策を行う」とすべきという意見もあるかもしれませんが、「何かを行うことで現状よりも悪くなる」ことも想定するべきだと思います。

しかし、世の中には、ちょっと変わった使い方をする方もいる模様です。
このケースでは、BSEの全頭検査の継続の要求のために予防原則を掲げる一方で
1. 「一方、リスク評価の危険な側面として以下の点が指摘される。」として、リスク評価の実施そのものを否定しておいでのようです。
#危険性を指摘しつつ、リスク評価を肯定しているのかもしれません。読み方が悪かったらごめんなさい。
2. 「「許容できるリスク」を設定することは、リスクを生み出す構造から目をそむけさせ、リスクの存続を許すことになること。」と、ゼロリスクを目標とすることを掲げております。
いずれも、「予防原則」とは相反する考え方です。

なお、「(2)「リスク評価」を行う前に、多数の未解明事項の科学的な解明が先決である」との文言がありますが、この「科学的な解明」のプロセスこそが広い意味でのリスク評価では無いのでしょうか。研究による事実の積み上げなしにリスク評価が行えるとは誰も考えてはいないと思うのですが。

さらに、「現段階では検出限界の月齢を確定する知見が不十分であり、検出限界以下のリスクも不明である、と解するのが自然と思われる。」と言う一方で、「私たちはそこから自ずと、全頭検査の継続という結論が導かれると考える。」という論理的な脈絡が理解できません。検査の有効性を疑いながら、その継続を主張するというのはどういう論理なのでしょうか?
 現行の検査方法の検出感度に問題があって、20ヶ月齢以下の個体では検査の有効性が無い、というのであれば、まず検査法の改善を求めるのが筋ではないでしょうか?検出できない方法でコストをかけるのは無駄です。むしろ、特定危険部位の除去が確実行われているかどうかを検証すること、それを確認する検査方法の開発あるいは、その方法がすでにあるならば、その実施を求めた方が対策として有効だと思います。また、異常プリオンの検出方法自体も改善されてきているので(1,2)、その採用を求めるのも良いかもしれません。

いずれにしても、現状ではvCJDの予防措置は特定危険部位の除去であって、現行の異常プリオンの検出は、リスク評価のデータ蓄積のためのモニタリング手法の一つに過ぎません。本当に消費者のゼロリスクを求めるのであれば、直ちに牛肉の消費を止めるほかありませんが、その際に発生するコストを考えると、それは現実的な選択ではありません。
# しかし、あらゆるものに優先して生命の尊厳を訴えるのであれば、直ちに牛肉の消費を禁止することも選択肢としてはありうるのかもしれません。私には理解できませんが。