今朝訪れたら、いつも楽しみに見ているblogがオーナーの都合で12/1から休止するとのこと。
匿名で書いていてもblogが成長すると、いずれは個人が特定され、日常生活でにも予期せぬときに予期せぬコメントをされたりするのだろう。

 いっその事、理系白書blogのように実名で運用して、日常生活とシームレスにしてしまえば、会話中にblogの記事についてコメントされても心構えがあれば慌てることも無いだろう。が、それでは息抜きにはならないし、相応の覚悟が無くてはできることではない。私は、少なくともあと4ヶ月はそうしないだろう。

 たとえ匿名のblogであっても、オーナーの置かれている地位や立場によって、書いて良いことと、そうでないことがある。
 それは誰でも同じことだ。書き手は非公式な場での発言のつもりであっても、読む側の意図によっては別の解釈が成り立つ。特に、一旦文字情報になった言葉の切れ端は、書き手のコントロールが及ばないところで勝手に引用され、無残に曲解される可能性を常に持っている。
 発言の前提条件である、発言の状況や発話の対象が限定されて初めて正確な意味がわかる場合もある。マスコミが引用する政治家の「失言」の多くも、そうして生み出されているのかもしれない。

 そうした曲解に備えて襟を正しつつも、正直なところ、つまらない上げ足取りに対応しなくてはならない窮屈な社会には幾分うんざりしている。