昨日の爆笑問題のニッポンの教養 −爆問学問−

番組では爆笑問題福岡伸一さんを訪問。福岡先生、例によって循環的生命観を披露。

太田光の受け止め方が今一つ噛み合っていないのがちょっと寂しい。

最後に、太田光が宗教と科学の二項対立で、宗教の立場も見直すべきとの見解を披露すると、福岡先生は、こう言った。


中世には当代最高の学者が集まって、針の頭に一体何人の天使が降り立てるかを真剣に議論していた。
今の科学も500年後にはそんなものかもしれない。ギリシャ時代には既に、万物は流転するといわれていた。今の時代は、
分子が入れ替わるといっているが、それは、物語の文体が違うということに過ぎない、と。

宗教と科学の関係は、語られる対象が異なる二項対立ではなく、語られる言い回しが違うだけで、
本質的な部分で対立するものではないと言ってのけたのだ。

なるほど、ある意味、人の脳そのものが大きく進化しているのではないのであれば、認識能力がそうそう拡大する訳でもないのだから、
認識の対象が精緻になることはあっても、認識のフレームワークはそうそう変わらないということだろうか。

かつて、自然科学は、哲学でもあった。つまり、科学者は哲学者でもあった。今、哲学することを忘れてしまった研究者が、
巷には多過ぎないだろうか?

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