未来を読みたければ、空気を読むな

以下、放言。

# 知り合いが読んでるかと思うと気恥ずかしいものがあるが、でも書かずにいられない。

放言その1:「KY」なひと。

昨年の流行語大賞の一つが「KY」。「空気が読めない」の略らしい。

「空気を読む」というのは、結局の所、人の顔色(表情)を窺うということだろう。
人の顔色ばかり窺っている他人指向の人間に独立心や主体性を求めても仕方がない。日本人は古くから、
人の顔色ばかり窺っている者を卑しんできたのではなかったか。

しかし、人の表情を読みとる能力が極度に低いと、コミュニケーション不全をおこす。それが病的な水準に達すると、
アスペルガー症候群という病名までつく。

どこまで、その場にいる人々の感情に斟酌するか、要はバランスの問題なのだが、
昨今は自分が無視されたとか軽んじられたと感じると我慢ならない人が増えたせいか、他人に「空気を読む」
ことを強要する風潮が強まっているように思う。それが「空気が読めない」事を、人の欠点として指摘する事態の背景にあるのではないかと。

私は、あまりに空気を読む事に長けている人を見ると、魚群を形作る魚を思い起こす。イワシやアジのように、塊を作って泳ぐ魚は、
互いに衝突しないように実に巧みに均衡を保ちながら、”塊”として行動する。塊の中にいる魚には周りの魚しか見えず、
魚群全体がどこへ向かって泳いでいるのか、さっぱりわからないまま周囲との相対的な位置関係を保ちながら、
中庸な多数派であることに安住している。

魚群が泳いで向かって行く、その先を知りたければ、塊の先頭に出るしかない。そのためには、魚群の中にいる魚は、
前にいる魚を押し分けて前に出なければならない。ひょっとすると衝突もあるかもしれないが、
見通しの良い場所に出て自分達の向かう先にあるものを知りたければ、衝突を恐れずに前に進むしかない。

未来を知りたければ、空気なんか読んでる場合ではないのだ。

私もそうなのだが、研究者というのは多数派に安住していては商売にならない。どのように人と違う事をしているのかが言えなければ、
自分の研究の意義を説明できないし、論文も書けない。一方、その研究が向かう先にどのような未来があるのか、
誰よりも早く予測できる立場にある。職業上、魚群の先頭を泳がなければならない宿命にあると言えるかもしれない。

そのせいか、職場にはコミュニケーションの下手な人が多い(もう、
多いという水準ではない気もするが・・・)。世間で言う「KY」な人々があふれている。多分、
流行語大賞なぞ知らない”KYってなに?”という研究者が多いことだろう。それは会議に出てみるとよくわかる。多くの場合、
結論という一方向に向かう魚群の体をなしていないのだ。

しかし、魚群の先頭を泳がなければならない宿命にある研究者は、「KY」であることに胸を張って良い。それは、
先頭を泳ぐ者の特権でもあるのだから。

 

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放言その2:「農業環境生物資源・種苗研究所」

昨年末、独法の整理合理化については時機を逸して書き損なった。年末の官房長官と農水大臣との折衝で、農業生物資源研究所(生物研)
農業環境技術研究所(農環研)+種苗管理センターの統合が決まった。

農水大臣曰く、「先端的な研究と現場の連携を深めることで、相乗効果が期待できる」・・・だそうだ。

閣議決定後に農水省から説明に来ていたが「政治的に急遽決まったことなので、今後どのような組織になるか今の時点では説明できない」
という旨の説明をして帰って行った。ふざけてそう言うのであれば、怒りようもある。しかし、大まじめにそう言われてしまった日には、
もう返す言葉もない。

大臣の発言から察すに、「生物資源研究所」も「農業環境技術研究所」も先端研究という意味では一緒、というご認識と見受けられる。
これは、かなりショッキングだった。「すばる望遠鏡」も「H-IIAロケット」も宇宙に関係していると言う意味では一緒、
という発言を聞いたくらいに・・・。先端研究といっても、生物研の研究は「ゲノムから種の多様性+遺伝子組換え技術」という、
どちらかというとミクロな領域の仕事だし、農環研の研究はまさに「環境」という、宇宙という括り以下では、
ほぼ最大級のマクロな領域の仕事だ。これをホチキスするのか混ぜるのかは知らないが、
どのようにシナジー効果を出してマネージメントしていくのか?そこを考えるのが理事長や理事の仕事だが、こういう時は、
そういう問題を考えずに済む下っ端で良かったと心底思う。

さいわい、大臣におかれては「種苗管理センター」の業務が「現場」に密に関連したものであることは認識されていたご様子。しかし、
イネ・ゲノム研究の成果が品種識別に活かせるかというと、品種識別の対象になっている植物は種のレベル以上の多様性があるので、
そう簡単にはいかない。だいたい、品種という言葉で表される幅広い概念には、生物学的な実態が伴っていない。困ったことに、
その実態がほとんど理解されていない。

イネ・ゲノム研究の成果を品種識別に生かそうという考え方は、
ヒトもナメクジウオも同じ動物だからナメクジウオの地域分化の研究にヒトゲノム研究の成果を使いましょう
というくらにナンセンスだ。

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