日中の最高気温が8度ほど。私のホームグラウンドのつくばは新緑に向かいつつあるが、ここ稚内は日陰の沢筋にはまだ薄汚れた雪が残っている。スタッドレスタイヤを付けているのか道行く車のロードノイズもバタバタと騒々しい。

久々に郷里に帰ってきたのは入院中の父の見舞いのためだ。脳梗塞で、今回で6度目の入院となる。かつては二度発作を起こすと助からないと言われたものだが医療技術の進歩はめざましい。また、この北辺の地に脳外科の病院があることも大きく影響していることは間違いない。もし、15年前に同じ発作を起こしていたら助かったかどうかわからない。

父は左半身の運動神経も感覚神経も麻痺している。脳の右側に血行障害を起こして機能が失われている。嚥下もままならないし、痰を吐き出すのも一苦労だが、二週間前の入院直後よりは幾分良くなってきているらしいので、全面的・恒久的な機能喪失ではないようだ。

左目が見えていないので遠近感がつかめない。目の前のティッシュを取り損なっている。右手だけで食事をするのだが、お膳の左端が視野の外に出てしまうのか、ときおり視野の外にあると思しきスプーンを手探りしている。

生来、せっかちな性格なので、食べ物を矢継ぎ早に口に運ぼうとする。とろみを付けた魚の煮物をスプーンで掬っておかゆの椀に入れ、おかゆと一緒に食べようとする。たしかに白粥は味気ない。しかし、順番に食べないと咽てしまう。病気をしてもせっかちは変わらないらしい。

意識はほぼ清明なので、ホワイドボードをつかって筆談ができる。しかし、父は自由になる右手で私の支えたホワイトボードに非常に深みのある書体の文字を書く。・・・つまり、読めない。弟にメールで読みにくいのだがどうしようと聞いたら、一文字ずつ確認しろ・・・もっともな話だ。そうしよう。

首が痛いので軟膏を塗ってくれとか、ナースを呼んでくれとか、ナースコールのボタンをとってくれなど、もっともな要求だ。が、しまいには”晩飯はミナミ(父の行きつけの鮨屋)へ行け”?いやいや、私は入院中の父親の見舞いに来て一人で鮨屋に入るほどの道楽者ではない。”ホテルは全日空ホテルか?株主優待で安く泊まれるだろ?”いやいや、病人にそんな心配をしてもらわんでも結構です。

夕刻、弟夫婦がやってきてシャツとパジャマを着替えさせてくれた。

帰り際、口が利けない父を眼前に、私が”口が利けないのを承知で、反論できないのをいいことに、親に意見するわけではないけれど、もう無茶はしないでくれ”といったら、父は自由な右側半分で声を出せずに笑っていた。

自由にならない肉体を歯がゆく思いながら生きてゆくのは過酷なことだ。それは、脳梗塞でもALSでも、また誰にとっても同じことだ。そうなのだが、それが身内に起こると悲しくもあり、よくわからない悔しさもある。

しかし、最も、悲しみ、苦しみ、悔しく思っているのは、おそらく倒れた本人なのだ。何か、回復に向けた希望につながるものはないものだろうか。大したことはしてやれないのはわかっているのだが。

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