博士号を取得して就職しても色々な上司に出会う。うまく折合いが付くこともあれば、不幸にして衝突することもある。誰しも、様々な人間関係の泥沼の中で生きていかなければならない現実を抱えているのだが、指導する側もされる側も、もう少し何とかできなかったものだろうか。

東北大大学院生が自殺…博士論文、2年連続受け取り拒否され

 東北大は13日、大学院理学研究科で教員の指導に過失があり、担当していた大学院生の自殺につながったとする内部調査結果を公表した。

 大学院生は2年続けての教員による博士論文の受け取り拒否などで修了できなかった。同大は懲戒委員会で処分を検討しているが、この教員は今月に入り辞職した。

 同大によると、自殺したのは理学研究科で生物関係の研究をしていた博士課程の男性大学院生(当時29歳)。大学院生は昨年8月、研究のデータ集めをした滋賀県内で自殺した。遺書には指導法への不満などはなかったが、翌月、両親から男性准教授(52)の指導に問題があったのではとの指摘を受け、内部調査委員会を設置していた。

 大学院生は2007年12月、博士論文の草稿を事前提出したが、准教授は大学院生と十分に議論せず受け取りを拒否。准教授は06年11月ごろにも、論文提出を延期するように指示しており、大学院生は2年連続で博士号の取得に失敗した。

 調査は、残された論文草稿やデータを見る限り、大学院生の研究は博士論文の審査水準に到達していたと判断。准教授が、具体的な指示を与えず、適切な指導を行わなかった結果、大学院生は学位取得や将来に希望を抱けなくなり、自殺に至ったと結論づけた。准教授は、08年1月に科学誌から大学院生の論文が掲載を拒否され、書き直しが必要になった際も、適切な指導を行わなかった。准教授は調査に「論文提出の直前までデータ整理に追われており、時間がかかると判断したが、指導に不適切な点があった」と話したという。

(2009年5月13日12時38分  読売新聞)
しかし、学位授与式が3月であれば、2007年12月時点での草稿の受取拒否というのは、どういうことだったのだろう。コース・ドクターであれば、指導教官がこの時期に初めて草稿を受け取るというのはあまり普通ではない気がする。しかも、受取拒否とは。受け取って目を通して、不備があればとことん指摘する、ブラッシュアップすればもっと良くなるのであれば手助けをするのが指導教官の責任ではないだろか。

また、院生と指導教官の間の日常的なコミュニケーションが欠けていたのではないだろうか。指導教官の側からすると、年度末には仕事が溜まってくるので論文の草稿は書けた順に提出してくれと常々言っておくものだろうし。
「准教授は、08年1月に科学誌から大学院生の論文が掲載を拒否され、書き直しが必要になった際も、適切な指導を行わなかった。」というのは、もし准教授がCorrespondence authorであれば、指導の責任を負うのが普通だ。しかし、もし単に共著者の一人でその論文にあまり重要な貢献をしていないというのであれば、指導する義務があるとまではいえない。新聞の記事ではそこまでは分からないが。

仕事上の問題で死んでも死なれても、結局だれも幸せにはならない。あえてきつい言い方をすれば、博士号をとるために命を懸けるというのはナンセンスだ。博士号を取るよりもも正規雇用されるの方が難しいのだ。

その昔、寺田寅彦先生もこう言っておられる。

「学位に関するあらゆる不祥事を無くする唯一の方法は、惜しまず遠慮なく学位を授与することである。一日何人以上はいけないなどという理窟はどこにもない。
百人でも千人でも相当なものであれば残らず博士にすればよい。それほど目出度いことはないのである。そうすれば学位に対する世間の迷信も自然に消滅すると同時に学位というものの本当の価値が却って正常に認識されるであろうと思われる。」

また、こうも言っておられる。

博士がえらいものであったのは何十年前の話である。弊衣破帽の学生さんが、学士の免状を貰った日に馬車が迎えに来た時代の灰色の昔の夢物語に過ぎない。そのお伽噺<のような時代が今日までつづいているという錯覚がすべての間違いの舞台の旋転する軸となっている。社会の先覚者をもって任じているはずの新聞雑誌の編集者達がどうして今日唯今でもまだ学位濫授を問題にし、売買事件などを重大問題であるかのごとく取扱うかがちょっと不思議に思われるのである。学位記というものは、云わば商売志願の若者が三年か五年の間ある商店で実務の習練を無事に勤め上げたという考査状と同等なものに過ぎない。学者の仕事は、それに終るのではなくて、実はそれから始まるのである。学位を取った日から勉強をやめてしまうような現金な学者が幾人かはあるとしても、それは大局の上から見ればそう重大な問題ではないであろう。少なくもその日まで勉強したことはまるで何もしなかったよりはやはりそれだけの貢献にはなっており、その日から止めたことは結局その人自身の損失に過ぎないであろう。」

この文章が発表されたのは昭和9年(1934年)。今から75年も前から既に「博士がえらいものであったのは何十年前の話」だったのだ。当時から博士号はそれほどの値打ちがあるものではなかったのだ。ましてや、今日、命を懸けてはいけないものだと思う。

とある無名の先達曰、

「博士号なんて足の裏にくっついた飯粒みたいなもんだ。取らないと気色が悪いが、取ったからといって食えない。」

・・・だそうだ。

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