昨日のエントリーで読売新聞の記事を引用しながら何か変だな?と思ったのだが、日本学術会議会長の談話の要約がおかしな按配になっていた。

記事ではこう書かれていた。

「十分とは言えないデータで確率論的に結論を出さねばならないことがある。

 データ不足を理由に結論を先送りするなら、科学の入らない主観的な判断になってしまう」と批判した。

何か変でしょ?で、談話のオリジナルを見てみた。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-d4.pdf
これによると、

 今回の出来事に関する第1の問題は、リスク評価者である食品安全委員会が、データ不足のために科学的評価は困難であることを承知しつつも、食用牛肉のリスクを評価したとして非難された点です。一般に科学の結論を得るためには多くのデータが必要であり、データが多ければ多いほど不確実性は減ります。科学者は長い時間をかけてデータを集め、少しでも確実な結論を得る努力を続けます。
 一方、何らかの社会的な問題に対して緊急に対策を実施する場合には、その時点で得られるすべての、しかし十分とは言えないデータだけを基にして、いくつかの前提を置いて「確率論的」に早急に結論を出さなくてはならないことがあります。もちろん新たなデータが得られたときには評価結果を見直します。これは国際的にも広く認められたリスク評価の手法です。もしも「データ不足による科学的評価の困難さ」を理由にしてリスク評価の結論を先送りするならば、科学の判断が全く入らないリスク管理者の主観的な判断だけに基づく政策・措置を策定するという、好ましくない結果を生むことになります。

会長が懸念している部分は、

もしも「データ不足による科学的評価の困難さ」を理由にしてリスク評価の結論を先送りするならば、科学の判断が全く入らないリスク管理者の主観的な判断だけに基づく政策・措置を策定するという、好ましくない結果を生むことになります。

記事では「科学の入らない主観的な判断になってしまう」と要約、リスク評価に関する文脈で、主観的判断になることを懸念しているように要約している。一方、会長談話は「科学の判断が全く入らないリスク管理者の主観的な判断だけに基づく政策・措置を策定する」とリスク管理が非科学的で主観的なものになることを懸念している。

・・・結局のところ、科学技術会議会長が懸念している通り、読売新聞の記者もリスク評価とリスク管理の違いが分かっていないのではないだろうか、ということが懸念されてしまうのだ。リスク管理からのリスク評価の独立に対して市民の理解が得られるまでの道のりは斯くも遠いのだろうか。

食品安全委員会委員長も、この件について談話を発表している。
http://www.fsc.go.jp/sonota/iinchodanwa_210701.pdf

記事によれば、


「評価の独立性と中立性が守られなければならない」との談話を出した。

とのことだが、私はむしろこの委員長談話の主旨は、

広く国民の皆様に、「科学に基づく新しい食品安全を守るしくみ」についてご理解いただくことがどうしても必要です。国民の皆様のご理解とご支援を心からお願い申し上げます。

の方だと思う。この報道のされようを見ても・・・。

これらの談話については、特に国民の代表たる国会議員の皆様にこそ真摯に受け止めていただきたいものだ。

そうでなければ、今後、多忙な本職のほかに政府の委嘱でこの種の仕事を引き受ける専門家が居なくなってしまうだろう。

# 本職の方が多忙でないような”いわゆる専門家”には委嘱しない方が良いだろうし。

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