読売新聞より。

構造主義確立、レビストロース氏死去

 【ロンドン=鶴原徹也】20世紀を代表する文化人類学者でフランス現代思想の「最後の巨人」だった、クロード・レビストロース氏が10月30日、仏東部リニュロール村の別荘で死去した。100歳だった。

 親族による密葬を経て、同氏の著作の出版社などが3日、公表した。

 1908年、ユダヤ系フランス人を両親にベルギーで生まれる。パリ大学で哲学を学ぶ。アマゾンをはじめ、南米やアジアなど世界各国でフィールドワークを重ね、数多くの民族を研究。原初の時代は自然状態にあった人間だが、結婚が氏族間で行われるようになって社会が形成されたとし、見えない「構造」が社会や文化を決定すると説き、「構造主義の祖」と呼ばれた。

 文明論的紀行文「悲しき熱帯」や、実存主義から構造主義へ戦後思想の転換を決定づけた「野生の思考」など数多くの著書を発表し、世界的名声を確立した。

 西欧が「未開」と見下す社会にも、文明社会同様の構造があり、人間は社会に則した論理に基づいて行動していると主張し、西欧の人間主義を批判した。実存主義哲学者サルトルとの論争は特に有名。59年、仏最高の研究教育機関コレージュ・ド・フランス教授就任。73年、仏学士院会員。

 フランスのサルコジ大統領は3日、「あらゆる時代を通じ、最も偉大な人類学者で、新たな知を探究し続けた」などと弔意を表明した。

(2009年11月4日12時43分  読売新聞)

構造主義」という立場は、一般的には生物学にはあまり縁がないように考えられている。例外的に、日本では、池田清彦さんや柴谷篤弘さんが生物学においても構造主義的な立場を執っており、進化論などをフィールドとして「構造主義生物学」を標榜しているものの、その試み事態はあまり成功しないままに今日に至っている。

私の書棚には生物学系の参考図書に混じって、

という本が置かれている(読んだことがあると言う意味では、ノーム・チョムスキーの著書もこの系譜に入れても良いかもしれない)。これらは構造主義的な考え方と、実験生物学的に支配的なものの見方(パラダイム)をどう折り合いをつけようか、という私なりの足掻きの航跡ともいえる。

このblogでは構造主義とは何かという詳しい説明はしない。それについてはWikipediaでも見ていただきたい。とりあえず、きわめて大胆かつ乱暴に要約すると、我々は、研究対象に”構造”(という概念的なツール)を見いだすことができて、それらの”関係性”を理解することによって、ものごとを明らかにしようとする立場と言える。一種、還元主義的なアプローチとは対立するようにも見えるが、研究対象を”還元”する際に自然をどのような概念の”固まり”に切り分けるかという作業にあたって、その”固まり”の関係性を考慮するならば、それは構造主義的な立場と言えるだろう。

# 構造主義とは、”世界は分けてもわからない”という場合に、それまで自明と思い込んでいた「分け方」が間違っているかもしれないと疑い、反省することができる立場でもある。

生物学の分野でも、ヒトはコトバによって物語を再構築するという作業を通じて、自然を理解しようとする(論文を書くという行いはそう言うことだ)。それは、コトバによる新たな概念の提案であるかもしれず、あるいは、既存の概念の組み合わせにより新たな現象の発見を伝えようとする企てかもしれない。

たとえば私たちに親しみ深い概念である”遺伝子”という述語は、生物学という学問の歴史の中で、大きく変容してきた。それは、メンデルの時代には、子が親に似た性質を表す際に、親から子に伝わる何物かとして物質的な実態がわからないまま、データを統計的に処理することで初めて明らかになる説明原理として提示された(メンデルは”遺伝子”というコトバは使わなかったけどね)。今や、DNAやRNAという物質的な実体を持ち、プロモーターや構造遺伝子、エキソンにイントロンターミネーターにエンハンサーといった機能単位に分割されるモノとして、当然のように我々は捉えている。

実は、この”遺伝子”というコトバで表されている概念の歴史的な変化(=細密化)は、現象世界をコトバで切り分ける際の、生物学における概念的なツールの進化であり、関係性のとらえ方の変化である。つまり、我々が後知恵で生物学の歴史を振り返るならば、そこには構造主義的なアプローチが、目に見えない生命現象を”理解する”ためにそれとは意識されないままに、頻繁に採用されてきたように見える。

この30年ほどの間に、大腸菌もイネもヒトもショウジョウバエも、生物である限り、遺伝子とい概念をキーにして比較することができるようになった。そこにある”ものの見方”は、遺伝子という”構造”の単位と、その”関係性”を語ることで、生命現象を統一的に理解しようとする取り組みであり、極めて「構造主義」的なものの見方なのだ。それは、博物学的な個別の種生物学の掘り下げによって進められてきた生物学の一大転換期でもある。

・・・そう言う意味では、20年前に始まった進化論にフィールドを限定した「構造主義生物学」の大部分は、既に発展的に意義を失ってしまったのかもしれない。

# 転写因子VSプロモーター、カイネースVSリン酸化タンパクVS特異的プロテアーゼ、ペプチドホルモンVSレセプターなど、特定の分子種間に見られるシステムとしての共進化についてはまだ課題は多いけれど。

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