日本の歴史上、縄文時代は概ね10,000年間、 弥生時代は概ね1,000年間。弥生時代は紀元前8世紀ごろから概ね3世紀までとされているので、それから今日の21世紀までの約2,700年がわが国の稲作の歴史のすべてである。 20,000年あまりの世界の農耕の歴史と引き比べても、わが国の稲作の歴史は斯くも短い。

 このわずかな時間に、稲を栽培してきた人々は水利の良い平野は勿論、山間部にまで水田を拓いた。また、この数十年間に限って言えば、世界中で作付けされる稲の北限である北緯44度近辺まで稲の栽培が可能になった。

 その間に、水田開拓のために森林は伐採され、用水の確保のために河川は改修されて葦原や渕は消えた。また、寒冷地に適応させるため積極的な交配育種が行なわれ、自然界には決して見れら無いほどの耐冷性を獲得した稲が育成されてきた。

 2,000年の間手作業で行なわれてきた農耕はやがて牛馬耕に取って代わられ、この数十年間に農作業はすっかり機械化された。また、化学肥料や農薬の普及は稲作の生産性を著しく向上させてきた。豊富な食料の供給は戦後の復興を下支えし、機械化によって生み出された余剰労働力は都市の経済成長の原動力となった。それでもなお、昭和30年代まで普通に米の飯を食べることができる人々は、ごく限られていた。

 「瑞穂の国」という言葉は美しいが、そこに宿っているイメージは幻想に過ぎない。われわれが伝統という言葉を使うとき、多くの場合、思い浮かべるのはせいぜいが高々数百年前のことなのだ。

 誰も、10,000年間の伝統を尊び縄文時代の狩猟と採取の時代に帰れとは言わない。機械化農業で作った米には魂が篭らないから農作業は手作業で行なうべきだとは言わない。が、なぜか化学肥料や農薬はいけないと言う人はいる。 化学肥料と農薬が今日の生産性を支えているにもかかわらず。

 これらの新しい技術のどれがいけないのか、私にはさっぱり分からない。大抵の場合、新しい技術は古い技術よりも優れていることが多い。そして、古い技術よりも本当に優れている場合には、その技術は伝統を乗り越えて普及することができる。勿論、普及せずに数多の技術が産み出されては消えていくことから、最新の技術が常に最良の技術とは限らない。

 遺伝子組換え技術は、今ようやくその普及の糸口に就いたばかりである。従来の品種よりも明らかに優れているならば普及し、従来の品種に代えるほどのメリットがなければ普及せずに消えていく。生産者、あるいは消費者の誰にとって優れた品種であるかという議論はあるにしても、遺伝子組換え技術で作り出された品種が今後普及するか否かは、余人がいかな議論をしようとも、その決着には時間のみが答え得る。

 だが、これは知っておいて欲しい。開発者は決してふざけてはいないのだ。日々、作業や実験に勤め、祈るような気持ちで結果を待つ。上手くいったといっては喜び、失敗したといっては臍をかむ。衆人環視の中で田植えをし、日照が少ないといっては組換えイネの生育を心配する。時には、炎天下の泥田で腰を痛めながら作業をし、生物多様性影響評価のため水田に殺虫剤が撒けないので、カメムシの繁殖に気を揉むこともある。