Food Science ”コシヒカリBLは、情報隠しではない”に思う
新潟県のコシヒカリBLをの表示を巡ってBiotechnology JapanのFood
Scienceに松永和紀さんが寄稿されている(12/12)。複数回にわたる議論のうち、まだ1回目の掲載だが、
ちょっと気になる論調なのでフォローしておきたい。
要旨は、
- 新潟県知事によれば、コシヒカリBLをコシヒカリと表示するJAの態度は「情報かくし」だという。
- 松永氏によれば、上記の新潟県知事の態度は「食品偽装騒ぎに乗じた政治家のスタンドプレーとしか受け取れない」
- ”科学的”にコシヒカリとコシヒカリBLの違いを検証してみたい。
- コシヒカリBLは複数の系統(準同質遺伝子系統)の混合物。
- コシヒカリBLを構成する各系統は、いもち病耐性のイネ品種にコシヒカリを5回連続戻し交雑したもので、
遺伝的には1.56%程度違っているだけ。
とのこと。科学的にはコシヒカリBLと従来型のコシヒカリの違いは、わずかだということは間違いない。詳しくはこちらを見ていただきたい。
交配1回で、平均するとゲノムの50%が入れ替わる。連続戻し交雑をすると、期待値としては、2回では25%、3回では12.5%、
4回では6.25%、5回では3.125%しか一回親の遺伝子は残らない。(松永さんの記事では、
なぜか6回連続戻し交雑をした場合の数値になっている。)
しかし、種苗法の定義では、遺伝的にいくら近くても違う品種を同じものとは言えない。種苗法では、品種の違いは、
登録の要件となる表現型で規定されていて、遺伝子型ではない。言い換えれば、
登録の要件となる表現型において他の品種と明らかに区別できる区別性がある系統だけが、
新品種として登録できる。
コシヒカリBLの構成系統も、いもち病抵抗性の違いを登録の要件としている。例えばコシヒカリ新潟BL1号では”「コシヒカリ」
と比較して,いもち病抵抗性推定遺伝子型がPi-aであること等で区別性が認められる。”とされている。
なぜこんなことを言いだしたかと言うと、もし”遺伝的に近いものは品種として一緒”と言い出すと、
科学的には元の品種に非常に近い戻し交雑育種による育成品種や、突然変異育種による育成品種、あるいは遺伝子組換えによる育成品種までもが、
ほとんど一緒、と言うことになってしまうのだ。
「違い」に注目して区別する種苗法においては、科学的な、あるいは遺伝学的な近縁関係は品種の異同論じる根拠にはならないのだ。
なので、”科学的に”
コシヒカリとコシヒカリBLの異同を論じる松永さんの記事の今後の展開が危ういものになるのではないかとハラハラしている。
一方、先日こちらのエントリーに特殊事情のあるイネムギの”
銘柄”の構成要件について書いたが、JAS法におけるコメの”銘柄”は、一定の品質にあることを保障する役割がある。
これは種苗法における品種の名称とは役割が違う。
どういうことかと言うと、私は種苗法やJAS法に特に詳しいわけではないが、法律の目的から考えるに、
種苗法で言う品種の名称は農業者が生産活動に使用する生産資材としての種子の性能保障のためのものという意味合いが強いのに対して、
JAS法でコメの銘柄を表すのに使われる品種の名称は、
消費者が食品あるいは農産物としてコメを消費する際の品質保証のためのものという意味合いが強い様に思う。
前者の品種の名称は「他の品種と性能が違う」ことを認識させる「区別性」
をあらわす目的に使われるのに対し、後者の品種の名称は、年度、産地と併記することで同じ表示のコメは「同じ品質である」
という「同質性」をあらわす目的に使われていると言っても良い。
品種名と言う記号の役割が180度違っているのだ。
従って、私は、コシヒカリBLとコシヒカリがコメとしての品質において同一であるならば、精米や玄米という製品の販売において、同じ
「新潟コシヒカリ」と名乗ること自体には、現行の制度に照らして問題は無いと考える。このあたりの制度については、こちらに詳しい。
・・・ということで、品種が遺伝的に近いかどうかと言う科学的な問題は、
生産資材としての種子に関わる種苗法においても議論され得ないし、消費財としてのコメの品質に関わるJAS法でも議論され得ない。”商品”
としてのコメの名称の違いについては、科学の出る幕はあまり無い様に思う。
一方、私は品種名を商品のブランドに直結させるべきではないという主張を持っており、それは今でも変わらない。個人的には、
JAS法で指定するコメの銘柄に品種名を入れることにさえ反対だ。コメの銘柄になる条件には、産地の奨励品種になっていること、
というものまで入っているし、一度品種名がブランドとして固定してしまうと、
品質において実質的により良い品種ができても従来のブランドに置き換わることが難しくなるからだ。
それによって、新しい品種が既存の品種よりも優れたものであっても普及しにくいという状況が生まれる。
各県が投資して新しい品種を作っても、コシヒカリと言う虚像になかなか勝てないばかりに普及しにくいのだ。
私は、新潟県の農業試験場のスタッフには、おそらくコシヒカリを超えた品種を作るポテンシャルはあると考えている。彼らが、
他でもないコシヒカリの準同質遺伝子系統というつまらないもの(失礼!)を作らざるを得ない事情もまた、
新潟県がコシヒカリと言うブランドの維持に汲々としている結果であろうと思う。
一時期は私も育種を仕事にしていた時期があったので想像に難くないが、前の品種をちょっとモデルチェンジしただけの製品(品種)
をひたすら作り続けるという作業には創造性が感じられない。それは職人の仕事ではあるが、
もはやArtistとしての育種家の仕事とはいえないのだから。
人気blogランキングへ←クリックしていただけますと筆者が喜びます!