「きぼう」への投資を回収する?

宇宙空間に日本の物置小屋ができた・・・今般のシャトルで打ち上げられた「保管室」の取り付け成功は、つまるところそういうことだ。

20年の歳月と巨額のプロジェクト運営経費、最高の製造技術、そしてロボットアームを操作する匠の技をもってして為し得た成果。新聞各紙の書きぶりではそんな感じだ。それを物置小屋と言っていけなければ、倉庫だ。実験室本体ではないので、保管室というユニット自体の機能はきわめて限定的だろう。

私は、ここまでの成果を貶すつもりはさらさら無いが、新聞社の社説を見ていると、早くも成果を口にし 始めているので、私は冷めた目で現状を見直したいのだ。各紙の社説では喧しくも、早く資本を回収しろと言わんばかりの論調が飛び交っている。まだ実験室さえできていないのに、何を言ってるんだろう。寝言を言うのは寝ているときだけにしていただきたいものである。

 


 

読売新聞から。

これまでに政府は、ステーション計画に6000億円以上の予算を投入した。今後、ステーションの維持や日本独自の無人輸送船開発・ 運用などを合わせると、1兆円を超える費用がかかる。

 巨額の投資を無駄にしないよう幅広い活用策を模索し、役立てることも大事だ。国際協力は、そのひとつだ。 宇宙実験にアジア地域の国に参加してもらうなどの取り組みにも期待したい。

朝日新聞から。「「きぼう」―1兆円を生かせるか」

 しかし、肝心なのは、そこをどう使い、どう生かしていくかだ。

 きぼうの建設費は約5500億円、物資の輸送など運用に今後、毎年約400億円かかる。 準備段階も含めれば合計1兆円に達する巨大プロジェクトである。どのようにして巨額の投資に見合う成果を上げるのかが問われている。

(中略)

日本として何をめざすのか。今こそ、しっかりした計画が必要なときだ。

 


 

大新聞社にかかると、JAXA文科省も、まるでなーんにも考えてない様な言われぶりだ。

 


 

日本経済新聞から。「宇宙実験、夢より成果見せよ(3/12)」

 日本は計画参加に伴い、実験棟の製作などに約7000億円つぎ込み、 2015年まで毎年400億円を投じる。つまり実験棟は総額が1兆円に及ぶプロジェクトである。 当初の経緯に加え各国との付き合いもあっただろうが、さほど深慮もせず計画を続けてきたことは否定できまい。

 実験棟は無重量状態だから、当初は革新的な材料や新薬の開発ができると言われてきた。その期待は薄れつつある。 実験装置の性能が上がり、地上実験で十分との指摘もある。目を見張る成果が出ればいいが、出ないのなら実験棟を見限ることも必要だ。 有人宇宙活動は費用がかさむ。それがどれだけ役立つのか。費用対効果を見極めるべきである。

 


 

さすが投資家向けの新聞です。7年先までにはどれだけ役に立つか示せと・・・。

いずれも、建設までに5,500-7,000億円の巨費を投じたこと自体を問うており、 2015年までの7年間で費用対効果に見合ったかどうか評価しろ、と言っている。短期で資本を回収させるタイプの製品向けの技術開発でもあるまいし、何を考えているのかさっぱり理解できない。だいたい、大雑把な見積金額でも1,500億円も違っちゃってて、彼らは何を見てるのだろう。概算値の端数だけでiPS細胞の研究費(5年で100億)の15倍、単年度20億だとすると75年分の研究費に相当する。年間400億の事業費というところは二社共通だから本当なのだろうが、これだって医学・生物学の分野から見ると桁違いの巨額だ。

※ 書いててだんだん腹が立ってきた。

今のところモノオキが一つできただけで、実験室の完成はこれから控えている大仕事だ。それさえも、研究のための設備が整ったということに過ぎない。宇宙実験室が本領を発揮するためには、そこで研究が行なわれなければならない。それがなければ、”箱物行政”と一緒だ。

ちなみに、私は研究に投じた経費から、それに見合った成果を回収しようと考えてはいけないと思っている。手作りの装置でちまちま実験してノーベル賞を取る人もいれば、スーパーカミオカンデITERのように巨大装置を建造しないと実験できない人も居る。紙と鉛筆で良い人もいれば、スパコンが必要な人もいる。研究の遂行に必要な資源の投資は、ピンキリだ。

研究のアウトプットも様々。それが世の中に役立つこともあれば、役立たないこともある。すぐに役立つこともあれば、100年を経てようやく役に立つ研究も、1,000年経とうが役に立たない研究もある。研究成果が社会的に意味をもつまでの時間のスパンは様々だし、波及効果の現れ方も様々だ。いずれにしても、短期的な経済的波及効果で研究の真価を計ることは誰にもできないし、人類に対する貢献という意味では、その尺度は適当ではない。

つまり、「投資に見合った成果」というものは、成果自体を評価するための明示的で、なおかつ社会的に合意のある尺度が存在しない以上、幻想に過ぎない。(定量的な議論の前提が成り立たない、ダメな議論、と言う奴だ。)

まして、宇宙空間で行われる実験を必要とする研究に対して、「日本の国際競争力」がどうの、とか「公費で行われる研究なので納税者に対する説明責任」がという戯言は聞きたくもない(後者は耳が痛い)。そんなものに役立つことが予めわかっている研究なんておよそつまらない。また、私の想像力では、国際宇宙ステーションでできる生物学実験が、かつての”宇宙メダカ”以上のどんなインパクトを社会に与えうるのか全くわからない(・・・私の頭が硬くなってきてるのかな)。

私人のblogなので、またしても勝手なことを言うが、科学は、芸術やスポーツと似ているかもしれない。音楽に酔い、絵画を楽しみ、競技者の超絶的な技量を楽しむように、科学を楽しんでほしい。オペラハウスを作るのに巨費を投じたのに、つまらない演奏をしやがってとか、巨大サッカースタジアムを建ててやったのにJ2かよ!などと言ってほしくないのだ。プレイをする場の値段は、そこで行われる演奏、競技、研究の価値とは関係ないのだから。

日本経済新聞風に言えば、「宇宙実験、成果より夢見せよ」だ。すでに建設には巨費を投じてしまった。回収できる目処はまずないのだから、あとはどんな夢を描かせてくれるかが勝負だ。

※ さて、今シーズンはコンサドーレもJ1だ。これを、器に見合ったチームという評価をする人が居るのだろうか?

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