ジャガイモの起源地論争

ジャガイモの起源地を巡ってペルーvsチリの論争が勃発。 そこにボリビアが参戦して混迷を深めている模様。

ジャガイモの伝搬についての地図はこちら


「イモの起源」はどっち?一歩もゆずらぬペルーとチリ

【6月5日 AFP】アイルランドではイモ飢饉(ききん)が起こり、ダン・クエール(Dan Quayle)はイモのつづりを間違え、ロシアの料理人はイモに誓いをたて、中国はイモの最大の生産国――そして現在、イモはその「出自」をめぐりアンデス山脈で繰り広げられる舌戦の最前線に位置している。

 イモの起源が南米であり、16世紀スペインの植民地開拓者によって欧州に伝えられたことについては専門家の意見が一致しているが、ペルーとチリは長年その起源が自分の国にあると論争を繰り広げてきた。

 国連(UN)が2008年を「国際ポテト年(International Year of the Potato)」と定めたことにより、「パタタ(patata)」(アンデス山脈ケチュア語では「パパ(papa)」)の起源を持つ国としての名誉をかけ論争がヒートアップしている。

 国連サイトにも掲載された「イモは7000年前にペルー南部のチチカカ湖(Lake Titicaca)周辺で最初に栽培された」という科学的証拠にチリが反論し論争に火がついた。同国のマリヘン・ホンコール(Marigen Hornkohl)農相はオランダの7000種のイモのほとんどがチリ産のジャガイモと遺伝子的なつながりを持っている、とDNAテストを引き合いに出し、チリ起源説を主張した。

 ペルーの反応はもちろん激しいものになった。日刊紙La PrimeraのCesar Hildebrandt論説委員は「農作物に関する7000年の著作権」を自分のものにしたいのだ、とチリを非難。他の日刊紙も、「ペルーのイモを盗もうとしている」とチリを非難し、ブドウから作られるアルコール飲料「ピスコ(Pisco)」やカスタードを使ったデザートなど、チリとの食べ物の起源をめぐる論争をとりあげ、イモ論争に加わった。

 ペルー農業省傘下の研究所長は、チリのイモがペルーに起源を持つものであることは疑う余地がないと話し、チリ原産の種は、チチカカ湖北の地域で栽培が始まったペルーのイモの「子孫にすぎない」という。

 ペルーとチリとの論争が煮詰まる中、ボリビアが両国のものよりも起源の古いイモを確認したと主張、第3の「シェフ」が現れ、煮えたぎる論争の鍋をかきまわす可能性もでてきている。(c)AFP/Gilles Bertin

 作物の栽培化の起源地については、大抵の場合、決定的なことは言えない。考古学的な資料が見つかるたびにどこかに移る。上の記事のように、「オランダの7000種のイモのほとんどがチリ産のジャガイモと遺伝子的なつながりを持っている」としても、調べてみれば「オランダの7000種のイモのほとんどはペルー産のジャガイモと遺伝子的なつながりを持っている」ということも分かるだろう。

 イネやオオムギの栽培化の過程を見れば分かるように、野生のジャガイモの祖先から栽培化されてきた過程も、もしかすると一元的ではないことも考えておかなければならない。考古学的な資料から最古の栽培化起源地であることが分かっても、それが今日のジャガイモへと直結するとは限らない。せっかく栽培化されても、一度は滅びてしまうということさえありうるのだから。

 これは研究者に任せておくべきテーマであって、政治家やマスコミ関係者の発言で真相が変わるというものではないのだ。ま、皆さん激しくジャガイモを偏愛しているということは良く伝わってくるが。

 さて、7,000年前ですか・・・ペルーという国も、チリという国もなかったように思うのですが、なぜそんなに起源地にこだわるんでしょうか。起源地がどこかということよりも、今日の両国の国民へと繋がる先人達が、作物をよりよいものに改良してきた歴史的な事実を共にたたえ合う事の方が大切だろうに。栽培化当初のジャガイモなんてどうせろくなものではなっかたと思うのだが。

 ご先祖様は子孫達のつまらない対立を草葉の陰から見て、きっとあきれているに違いない。

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