無知から来る「安心」

 不安のタネを知らなければ「安心」していられる。私は「安全・安心」という言葉が大嫌いだ。

 ある程度定量的に評価できる安全性(あるいはリスク評価)で裏打ちされた「安全」と、「とりあえず不安材料は見あたらない」というだけの「安心」を一緒くたにしているからだ。場合によっては、危機的状況にふさわしくない「安心」もあり得るのだ。

 次の記事は読売新聞から(記事のボールドは私)。


活断層をランク付け、29か所が「いつ動いてもおかしくない」

 政府の地震調査研究推進本部は、主要な活断層(110か所)を地震が起きる切迫度に応じてランク付けする新指標を導入する方針を固めた。

 住民らの防災意識を高めるのが狙いで、糸魚川―静岡構造線断層帯など29か所が最高ランクの「いつ動いてもおかしくない活断層」に位置づけられる見通し。2009年版地震動予測地図に発生確率とともに盛り込まれる。

 活断層での地震発生確率は、過去の地震の平均活動間隔などをもとに計算される。間隔が数千年〜数万年と大きいため、確率値は海溝型の地震に比べ、低く算出されがちで、最高でも首都直下地震を起こす神縄・国府津―松田断層帯(神奈川・静岡県)の16%。専門家らから「住民に無用な安心感を与える」という指摘が出ていた。

 新指標は、平均活動間隔を過ぎても地震が起きていない活断層を最高ランクとし、活動間隔に迫るものを最高に準じると位置づける方針。

(2008年7月7日14時39分  読売新聞)

無用な安心感を与える」という言い回しが面白い。地震や台風のような天災は不可抗力だ。それ自体を人智で防ぐことはできない。しかし、天災に備えることで被害を軽減することはできる。だから、根拠もなく、無防備なままで安心していて良いというものではない。

人気blogランキングへ←クリックしていただけますと筆者が喜びます!