「勉強ができる」という蔑称”というエントリーを読んで思った。

(仮説) ヒトが他人を蔑視する場合、対象に対する何等かの危機感を持っているのではないか。

# 「他人」でなく「他国」でも良いし、「蔑視」でなく「敵視」でも良い。構造的には同じことだ。もっとも、私はこの仮説が検証できるとは思っていない。

ヒトの生存にとって、狩猟や格闘の能力が重要だった時代にはそれらの能力に長けた人間が「蔑視」の対象であったかも知れない。例えば、狩猟がヒトの生存に重要な時代には、”あいつは足が速い奴だ”という具合に。

平和な現代においては、身体能力の高低はもはや生存競争のキーではない。卓越したスポーツ選手の能力のように、決められたルールの中で発揮され、評価される。それは、洗練され、様式化された故に、生存に必要かどうかという生臭い現実を離れ、我々は一種のフィクションとして見ることができる。

だから、プロスポーツ選手が何十億円の所得を得ようが、もはや「蔑視」の対照にはならないのだ (”頭でっかち”とは言うが、”体でっかち”とは言わないでしょう?)。

そのかわり、今や社会的な地位を高く維持する適応能力が「蔑視」の対照になっているのではないか。そのベクトルは、官僚や政治家や医師、そしていわゆるお金持ちに向けられている様に思う。

生物の”個体”にとっての生存競争は、遺伝子の存在を賭けた環境と個体との戦いである。一方、コンラート・ローレンツがテーマとしている、”闘争”は同種の生物との生存競争を指す。同種の動物同士の”闘争”は、しばしば鳥のダンスやディスプレイのように”様式化”されており、力ずくで相手をねじ伏せるケースの方が例外的である。

ヒトの蔑視に起因するネガティブ・キャンペーンも、様式化された”闘争”の一つの形態ではないだろうか。”ことば”によるそれは、理性に基づいた行動ではなく、我々の本能のうちに植え付けられた、拭いがたい刻印ではないのか。

また、”ことば”による蔑視の表明は滅多に非難されることはない(朝日新聞の”素粒子”程に言葉が過ぎれば別だが)。一方、元厚生労次官宅連続襲撃事件のように、直接的な暴力に訴える場合は当然処罰される。闘争の流儀としては、前者はルールに則っており、後者はそうではないのだろう。

足の引っ張り合いは”全体として損をする”というのは、その通りだ。しかし、その蔑視がヒトとしての本能的な”闘争”であれば、たとえ全体として損であっても、われわれがそのことに気づいて理性を働かせない限り避けることはできないのだ。

アメリカでもgeekという言葉は一種の別称として使われている様なので、知的に秀でた個人を抑圧する行為を、日本の精神風土と片付けるべきではないだろう。

それは、”日本は金持ちだから”とみる近隣諸国の羨望と軽蔑の入り交じった視線にも似てはいないだろうか。

# かつて日本人もまた、米国人に対してそのような視線を送っていたことがあったのではなかったけ?

以下横道。
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マスコミはしばしば、官僚や政治家や大企業をバッシングする。その動機は、読者がそれを本能的に喜ぶ(と思っている)からだろう。行政や政治や製品・サービスを現状よりも本気で良くしたいのであれば、ネガティブキャンペーンよりやるべきことはほかに幾らもある。組織として働くマスコミ各社が気づかないはずはないのだ。それにもかかわらず、ネガティブキャンペーンに終始しているのは、読者に迎合することでより多くの読者を捕まえておくこと自体を目的として、自己の行動を最適化した結果であろう。

新聞や民放は、メディア(媒体)である。報道も行うがその収益の源は広告だ。広告に依らないメディアが不偏不党かといえば週間金曜日や赤旗聖教新聞を見ればわかるとおり、理想とはほど遠い有様なのだが、広告収入に依存している限り、読者の本能に迎合した紙面にならざるを得ないのだ。

そして、”(新聞社の思い描く)消費者とはこんなものだ”という独善が、ついにこのような結果を招いたのではないか。J-castニュースより。

毎日・産経が半期赤字転落 「新聞の危機」いよいよ表面化
2008/12/26

 
朝日新聞社の赤字決算が新聞業界に波紋を広げるなか、その流れが他の新聞社にも波及してきた。毎日新聞社産経新聞社が相次いで半期の連結決算を発表したが、両社とも売り上げが大幅に落ち込み、営業赤字に転落していることが分かった。両社とも背景には広告の大幅な落ち込みがある。景気後退の影響で、さらに「右肩下がり」になるものとみられ、いよいよ、「新聞危機」が表面化してきた形だ。

「販売部数の低迷、広告収入の減少など引き続き多くの課題」

 
毎日新聞社は2008年12月25日、08年9月中間期(08年4月〜9月)の連結決算を発表した。売上高は前年同期比4.2%減の1380億3100万円だったが、営業利益は、前年同期26億8300万円の黒字だったものが、9億1900万円の赤字に転落。純利益も、同12億5600万円の黒字が16億1900万円の赤字に転じている。

 
単体ベースで見ると、売上高は前年同期が734億2500万円だったものが、6.5%減の686億8400万円に減少。営業利益は同5億4100万円の黒字が25億8000万円の赤字に転じ、純利益は1億8900万円の赤字がさらに拡大し、20億7800万円の赤字と、約11倍に膨らんだ。

   発表された報告書では、「当社グループを取り巻く新聞業界は、若年層を中心として深刻な購買離れによる販売部数の低迷、広告収入の減少など引き続き多くの課題を抱えている」

とし、業績不振の原因として、販売部数と広告収入の落ち込みを挙げている。

   毎日新聞社の常務取締役(営業・総合メディア担当)などを歴任し、「新聞社-破綻したビジネスモデル」などの著書があるジャーリストの河内孝さんは、

    「『上期で赤字が出ても、下期で巻き返して通期では黒字にする』ということは、これまでにもあった」

と話す。ところが、今回は事情が違うといい、広告の大幅落ち込み傾向もあって、通期でも赤字が出る可能性が高いと予測している。河内さんは、

    「仮に通期で赤字が出たとすれば、事実上倒産し、1977年に現在の『株式会社毎日新聞社』に改組されて以来、初めての事態なのでは」

と話している。

産経新聞も営業赤字に転落

   産経新聞も08年12月19日に、08年9月中間期の連結決算を発表している。こちらも、毎日新聞と同様、不振ぶりが読み取れる。

 
子会社の「サンケイリビング」をフジテレビに売却した関係で、売上高は978億500万円から17.4%減の808億1900万円にまで落ち込んだ。9億2900万円の黒字だった営業損益は、4億3400万円の赤字に転落。特別損失として「事業再編損」16億8400万円が計上されており、純利益は前年同期では1億1700万円の黒字だったものが、19億8400万円の赤字となっている。

 
単体ベースでは、売上高は前年同期が588億1200万円だったものが539億4300万円に8.3%減少。営業利益は9億2700万円の黒字が10億7800万円の赤字に転落。一方、純利益は、特別利益として「関係会社株式売却益」39億100万円が計上されたことなどから、前年同期は2億2900億円の黒字だったものが、5億8300万円に倍増している。

   同社の報告書では、業績不振の背景として、毎日新聞と同様、広告・販売収入の落ち込みを指摘している。また、同社は新聞社の中ではウェブサイトへの積極的な取り組みが目立つが、報告書でも

    「(同社グループ)5サイトは月間合計8億ページビューを記録するなど順調に推移している。『MSN産経ニュース』は産経新聞グループの完全速報体制が構築されており、新聞社系のインターネットサイトの中でも特にユーザーの注目を集めている」

と、自信を見せている。一方で、ウェブサイトが同社の収益にどのように貢献したかについての記述は見あたらない。

”読者が離れる → 広告媒体としての用をなさない → 広告のスポンサーが離れる”という構図がある。

これを市民が理性的にネガティブ・キャンペーンから目を背け始めた兆し、と信じたい。

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