安全と安心・・・よく混同される言葉だ。安全かどうかは客観的に評価できるが安心はアンケートでもとらないと評価できない、とか制度で担保できるのは安全であって安心ではないという区別がある。

最近、こういう混同はいかんなぁと思ったのは以下の記事。12/25の日本経済新聞より。

地域医療強化へ対策会議初会合開く



 政府は26日午前、「地域医療の機能強化に関する関係閣僚会議」の初会合を首相官邸で開いた。医師不足問題への対応や医学部の定員増など地域医療に関する各省の取り組みについて意見交換。各省の連携を強化することを確認した。


 会議には麻生太郎首相のほか、河村建夫官房長官舛添要一厚生労働相塩谷立文部科学相鳩山邦夫総務相らが出席。首相は「救急患者の受け入れができないなど地域医療は深刻な状況になっている。地域における医療の確保は国民の安心の基盤中の基盤だ」とあいさつした。(13:06)

これは記事を起こす際の書き間違いではない。私はこの会合冒頭の総理の談話をNKHのニュース映像で見てがっかりした。私思うに、この文脈で総理大臣が言うべきことは「地域における医療の確保は国民の”生命の安全”の基盤中の基盤だ」ではないかと。地域医療の強化は、数値目標に照らして達成度を評価すべき種類の政策課題であって、国民が安心できればそれでいいというものではない。

ちなみに、日本国憲法では、

第十三条


 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

となっている。

生命(略)に対する国民の権利」は公共の福祉に反しない限り、最大限尊重することが規定されているが、少なくとも憲法は我々に安心を保証される権利を規定していない(逆を言えば政府は国民の安心を保証する義務を、憲法上は負っていない)。安心できなければ幸福ではないと言うのであれば、強いて読ませれば「幸福追求に対する国民の権利」だろうか。

優先順位を考えれば、政府が対応するべきは、まずは国民の生命の安全であって、安心は後回しで良い。実質的な安全を伴わない根拠のない安心の方が、根拠のある不安よりもよほどたちが悪いのだから。

# 総理の漢字の読み間違いよりは、こういう勘違いの方が問題だと思うがマスコミは食いつかないね。考えるのが苦手なんだろうか。

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