今月公開予定の映画、「感染列島」。謎のウイルスが人類を襲うというテーマですが、この種のパンデミックものの古典といえば、やはり小松左京の「復活の日」か、昨年11月に亡くなったマイケル・クライトンの書いた「アンドロメダ病原体」が白眉でしょうか。

公開時期をインフルエンザがもっとも流行りそうな時期にぶつけてくるというのはちょっとブラックユーモアが過ぎるのでは、と思うのは考えすぎでしょうか。この映画を見に行く方はマスクをしていった方が良いかもしれません。人の集まる映画館ではインフルエンザ感染のリスクが高いと考えられますので。

以下、12/31の毎日新聞より。

スペインかぜ:原因遺伝子特定 新型インフル治療薬に道


 1918年に流行し全世界で約4000万人が死亡したとされる「スペインかぜ」のウイルスが強毒性になった原因遺伝子を、東京大と米ウィスコンシン大が特定した。発生が予想される新型インフルエンザの治療薬開発に役立つという。米国科学アカデミー紀要(電子版)で発表した。

 スペインかぜはインフルエンザの一種。毎年流行するインフルエンザウイルスは鼻やのどで増えるが、スペインかぜウイルスは肺で増え、死者の多くがウイルス性肺炎だった。

 米ウィスコンシン大の渡辺登喜子研究員らは、インフルエンザウイルスを人工的に合成する技術を利用。8種類あるスペインかぜウイルスの遺伝子の組み合わせを変え、通常のインフルエンザウイルスに組み込み10種類のウイルスを作った。実験動物のフェレットに感染させ増殖の違いを比べた。

 ほとんどのウイルスは鼻でしか効率的に増えなかった。これに対し、「RNAポリメラーゼ」という酵素を作る4種類の遺伝子がスペインかぜのものを使ったウイルスは、フェレットの気管と肺でも増殖。完全なスペインかぜウイルスと同じように強毒性を持っており、この4種の遺伝子が強い毒性にかかわっていることを突き止めた。

 研究チームの河岡義裕・東京大医科学研究所教授(ウイルス学)は「4種の遺伝子が作るたんぱく質の働きを抑える薬を開発することが、新型インフルエンザ対策に重要だ」と話している。【関東晋慈】

オリジナルの論文はこちら。インフルエンザ・ウイルスのRNAポリメラーゼのサブユニットはPA, PB1, PB2の3種類なので、この記事で言う4種類というのはどういうことかいな?と思って論文を見ると、Nucleoprotein (NP)も入れて4種類と言ってるんですね。

インフルエンザ・ウイルスのRNAポリメラーゼ自体はPA, PB1, PB2だけで活性を持つというのが現在の定説と考えると、”「RNAポリメラーゼ」という酵素を作る4種類の遺伝子”というこの記事の表現は誤り。この論文でもそんな表現はしていません。

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さて、

Watanabe, T. et al. Viral RNA polymerase complex promotes optimal growth of 1918 virus in the lower respiratory tract of ferrets. Proc Natl Acad Sci U S A  (2008).doi:10.1073/pnas.0806959106

ですが、この論文では、1918年に流行したスペイン風邪のインフルエンザ・ウイルス(現在入手可能なおそらく唯一のパンデミック・インフルエンザ・ウイルス;
1918)とA/Kawasaki/173/2001株(K173)のゲノムのモザイク(reassortant)を人工的に作成しています。その際に、PA,PB1,PB2,NPの4種類の遺伝子については1918あるいはK173、それ以外の遺伝子はK173となるような組合せで10種類のreassortantを作成しています。


結果として提示されているデータはFigureが二つ、Tableは一つで、極めてシンプルな論文です。まず培養細胞(MDCK cell)でreassortantの増殖活性を確認し(Fig.1)、フェレット(イタチですね)に経鼻接種して、気管と肺でのウイルスの増殖を見ています(Table 1、ウイルスのタイトレーションの方法は、素人なのでわかりません)。そして、ウイルスの感染後の肺の組織の病理学的検査を行っています。

培養細胞でのウイルス増殖は野生型の1918にほぼ匹敵するものが幾つかあるようです(グラフが小さくて・・・)。RNAポリメラーゼ全体とNPを1918に置換した1918(3P+NP)/K173は、他の株の折れ線グラフに紛れています。しかし、フェレットに感染させた試験結果では気管と肺の両方について供試したフェレット3頭全てからウイルスが検出されたのは野生型の1918と1918(3P+NP)/K173のみでした。また、病理学的検査の結果では、RNAポリメラーゼとNPを1918型に置換したreassortantでは1918同様に気管支とその周辺に重度の炎症が見られ、免疫染色でウイルスの抗原が検出されています(Fig. 2)。

このことから、1918株のRNAポリメラーゼとNPがウイルスの増殖と、その結果としての重症化に深く関与していると考えられます。
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ウイルス感染症が重症化する場合、
 1. 細胞への感染 → 2. 細胞内での増殖 → 3. 細胞からの放出 → 1. へ
というサイクルが体内で起きています。その際に、細胞が破壊されて組織がダメージを受け、そこに細菌が感染することでさらにダメージが増幅するケースや、ウイルス感染自体が炎症を起こす引き金になって、細胞が炎症を誘導する物質を放出し、さらに炎症や発熱が重症化するケースがあります(サイトカイン・ストームと言う奴ですね)。

このサイクルの中で、通常は”3. →1.”の間に、ウイルスの外被タンパク質が宿主や、感染した細菌のプロテアーゼで部分分解を受けるステップがありますが、培養細胞ではその部分が生体とは違っていて、きちんと部分分解されないため外部からプロテアーゼ(トリプシン)を加えてやります。しかし、それでは生体で起きる感染サイクルを正確に再現できないため、動物実験がどうしても必要になる、ということのようです。もっとも、フェレットがヒトのモデルとしてどのくらい近似できるか難しいところですが、倫理的にも経済的にも、やたらと霊長類を使うわけにも行きません。悩ましいところでしょうか。

これまで開発された抗ウイルス薬であるタミフルリレンザは、ノイラミニダーゼ(NA)を標的にした阻害剤で、3.の細胞からの放出をピンポイントで止めます。なので、あまり細胞外のウイルスが増えてしまってから薬を投与しても感染の拡大を止めることはできません。また、NAもウイルス外被タンパク質なので、比較的変異が起こりやすく耐性ウイルスが出現しやすいのも泣き所と言われています。

RNAポリメラーゼは、NAよりも比較的保守的である(変異しにくい)と考えられているので創薬のターゲットにしやすいことが予想されます。また、1918株のように重症化するインフルエンザに特異的な、広い範囲の細胞で増殖する能力がRNAポリメラーゼ自体によって与えられるのであれば、その働きを薬で止めることができれば重症化は避けられるかも知れないという希望が持てます。

一方、こんな論文も出ています。

Morens, D.M., Taubenberger, J.K. & Fauci, A.S. Predominant role of bacterial pneumonia as a cause of death in pandemic influenza: implications for pandemic influenza preparedness. J Infect Dis 198, 962-70(2008).  

一言で言ってしまえば、「スペイン風邪の死者の大半は細菌の二次感染による肺炎だった。」という論文です。もし、そうであれば現在の医療の水準を持ってすれば、感染爆発(パンデミック)は起きても、それによる死者はかつてよりも大幅に少なくすることができるはずだ。

いずれにしても、現状でもインフルエンザ・ウイルスに感染した場合の対策は、とりあえず軽症で済ませるために水分と栄養の摂取と解熱剤、それに二次感染を抑える抗生物質くらいしかありません。それに加えて特に高齢者は、肺炎双球菌に対するワクチン接種もした方が良いかも知れません。結局、パンデミックの場合もそうでない場合も、備えるべきは一緒だったということかもしれません。

# 同じ備蓄するなら、タミフルよりも抗生物質の方が良いかも?

 

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