例えエンターテインメントであっても、一分の事実は含まないともっともらしさが無いため観客を引きつけられない。科学者の立場から言えば、その一分の現実で可能なことと、それでは不可能なことを最善の科学的知見で区別してみせて、実際には具体的な危険性はないということを世間に示すのは良いことだ。それは、情報を等しく持つ者の間で行なわれる議論・反論の類ではなく、正しい知識を持つ者としての説明責任の履行に他ならない。

 早野教授の行動は、記事にもあるとおり「反物質研究は危険ではないかという問い合わせが相次いだ」ことを直接の動機とした物理学への市民の理解を促すサイエンスコミュニケーションの一環と捉えるべきだ。これは、社会の動きに対して科学者が敏感に反応している証であって、決して、「映画に科学で反論」という世間からズレた科学者の奇矯な振る舞いと見て揶揄するべきものではない。私は、早野教授が説明を行なったことを支持する。

 市民との初期のコミュニケーションに失敗すると、遺伝子組換え技術のように誤った知識に基づくいわれのないバッシングを受ける可能性もある。しかも、我々の日常生活の欠くべからざる基盤となった後でさえも、いつまでもその不合理なバッシングが続くことさえある。

 朝日新聞の見出しには「科学で反論」とあるが、これは意図せずにコンテキストを読み違えてしまったか、あるいは意図的に読み違えて科学者を揶揄している。控えめに言っても愚昧な言動、悪く言えば悪辣とも言える。署名記事を書いた記者の筆致が中立的で冷静であるだけに、見出しをつけた編集員の鈍さが際立つ。

東大教授、映画に科学で反論「反物質で爆弾、不可能」

2009年3月19日3時2分

 「反物質」を使った兵器づくりなんて、現実の世界ではあり得ません――。米映画「天使と悪魔」の封切りを前に東京大の早野龍五教授(物理学)が18日、異例の記者会見を開き、反物質研究について誤解をしないよう訴えた。

 反物質は、通常の素粒子とは逆の電荷を帯びた「反粒子」からなる。物質と反物質が出会うと消滅し、大きなエネルギーが発生する。

 映画は「究極の大量破壊兵器」をつくるため、欧州合同原子核研究機関(CERN)から反物質が盗まれるという筋書き。ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演で、5月15日に世界同時公開される。ダン・ブラウン著の原作も世界的なベストセラーだ。

 CERNでの反物質研究に実際に参加している早野教授は会見で研究の歴史などを解説。「反物質は、現在の科学技術では1グラムつくることさえできない。爆弾をつくるのは全く不可能だ」と強調した。

 記者会見を開いた理由については「映画はエンターテインメント。科学性を論じるのはヤボなことだと承知している。ただ、最近、反物質研究は危険ではないかという問い合わせが相次いだので、正しく理解してほしいと考えた」と話した。(山本智之)

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