こちらのエントリーで、ゴールデン・ライスによる途上国へのビタミンA供給プログラムに反対している「ヴァンダナ・シヴァ」という人物の紹介にこちらのエントリーを引用したところ、Where Angels Fear To Send Trackbacks  (kasuga sho diary)からリンクを頂いた。

少々誤解されて居られる部分もあるのでTBすることにする。

# ちなみに、”ヴァンダナ・シヴァの主張について あるいは「合理的な反科学」はあるか、という問題”というエントリーの表題なのだが、どの部分が反科学に関する言及なのか残念ながら私には分からなかった。多分、もっと修行が必要なのだろう。

それはさておき、

 ブログのような主張はサイエンティストに一般的なもののように思われますが、背景には「我々は科学を知っている。一方で、彼らは非合理な野蛮人であり、行動や主張に合理性があるわけがない」という憶見があるように思われます。

個人のブログの意見を以て、”サイエンティストに一般的”とする推定はあまり妥当ではないように思う。また、私は”我々は科学を知っている。一方で、彼らは非合理な野蛮人であり、行動や主張に合理性があるわけがない”という推定をしたことはない。

むしろ、私の知る限り遺伝子組換え技術に携わる科学者は、今時このように欠落モデルにしがみついて自らの正当性に安住しようとするほどナイーブではない。どのような憶測も自由だが、私もまたこの種の憶測から自由である。

サイエンス・コミュニケーターは市民と科学(者)の双方と対話をしながら理解を進めるものだ。一つ助言をお許しいただけるならば、”サイエンス・コミュニケーターは科学者のこともよく知っておいた方がよい”と申し上げる。

コメントを頂いた私のエントリーを偏見なく読んでいただければ理解していただけるものと思うが、私はヴァンダナ・シヴァをプロフェッショナルの活動家であり、一種のサイエンティストだと見なしている。非合理な野蛮人だとは考えていない。それどころか、その振る舞いから見ても、遺伝子組換え作物を仮想敵とする活動によってどのように効率よくビジネスを展開するかという一点では、合理的な判断を下せる明晰な頭脳と行動力を備えたスペシャリストだとさえ考えている(非合理な野蛮人でさえNPOを立ち上げてメディアを上手く踊らせることができると言う推定には無理がある)。

次に、

そして、元々のトピックが、第三世界貧困層にどのようにビタミンAを初めとした栄養素を安く供給するか、ということなわけですから、「品種そのものや育成技術」に力点を置くのは間違っているわけです。

全くそのとおりだと思う。ご指摘のように、「品種そのものや育成技術」に力点を置いて開発に異を唱えているのはヴァンダナ・シヴァ達だ。

現在、米でビタミンAを供給するという選択肢も手段の一つとして提供されつつあり、いずれそれを必要と思う人々が採用すればよい。”第三世界貧困層”(※)とされる人々も営々と続けてきたそれぞれの農業のスタイルがあるのだから、”非合理な野蛮人であり、行動や主張に合理性があるわけがない”という救済の対象と見るべきではない。それなりの合理性を持ってやっていることを尊重するべきだろう。途上国へのビタミンA供給プログラムはあくまで支援事業であって、どのような選択をするのかは途上国の市民が決めることだ

一方で、ご指摘に様に”60種類ぐらいの品種を家にストックしておき、その年の気候や市場価格などの動向をにらみながら、十数種類を混作するのが一般的”という農業のあり方が、仮に将来にわたってそれなりの合理性があるのならば、ゴールデンライスが導入されれば須くモノカルチャーになる、という推定は妥当ではないだろう。新しく加わった1/60の選択肢と捉えることはできないだろうか?

そう言う意味では、

 つまり、すでに述べたような「60種類のストックから、十数種類の品種を」という農法に、現在の研究開発体制が即応するのは基本的に不可能なのです(昔水車小屋のように遺伝子改変ショップが村々にあり、農民が気軽に「今年はこれとこれにゴールデンライスの遺伝子入れてくれや」と言いに行ける、というのであれば問題はだいぶ解決されますが、その場合はみんなが勝手なことをし始めるという環境リスクが増大するでしょう)。

 したがって、農民は外来の品種を継続的に利用するしかなくなります。

というように、すべての品種を無理矢理ゴールデン・ライスのような遺伝子組換え品種に置き換える必然性がどこにあるのだろう。しかも、交配で済むものを無闇に遺伝子導入するべきではない。どのような仮定も論理的には可能だが、このような極端な前提に立った議論は現実と乖離せざるを得ない。仮にゴールデンライスに相応のメリットがない場合には、農民が在来品種を使い続けると考える方が妥当だろう。

また、この推論もいただけない。

ゴールデンライスそのものはパテント・フリーでも、おそらく適切にゴールデン・ライスを育てるためには、BTやラウンドアップ・レディといった他のGM技術を複合的に利用しなければならなくなる可能性が極めて高いわけです。

目標がビタミンAの供給である限り、この戦略はおそらく採られることはないだろう。現地の農業のあり方や、食生活を無視した技術の導入は長い目で見てあまりうまくいかない。現実的な選択としては、遺伝子組換え品種でビタミンAの一部を供給する底上げができれば良いし、もしそれで足りなければゴールデンライスを親にした交配育種で在来品種に遺伝子を導入していく(熱帯であれば、技術的には2-3年あれば良い)という選択もある。同時並行に交雑育種を進めることができるし、通常の育種と変わらないのであまり大きなコストをかけなくても良いだろう。まして、わざわざパテントのかかった遺伝子と組み合わせる必要性はない。

要するに、かすがさんもご承知のように、新しい技術を社会に持ち込む際には、その技術の有用性を遺憾なく発揮できるように上手くローカライズすることが重要だ。そのためには、地域社会の市民との対話が欠かせない。

私はヴァンダナ・シヴァ有機農法を勧めるのは一向に構わない。それに何等反対するつもりもない。しかし、彼らは発展途上国において具体的な公衆衛生上の危害となっているビタミンA不足に対して、どのような解決策を提示しているのか?

その点においては、ヴァンダナ・シヴァもまた、排他的論理である”有機 = non-GM”という言葉の呪縛に縛られることで、遺伝子組換えという有効な道具(あるいは将来は有効になるであろう道具)を生かす可能性の芽を自ら摘み取ってしまおうとしている様に思えるのだ。

本来、遺伝子組換え技術と持続的農業は二項対立ではない。長期的に農業生産を確保するためには遺伝子組換え技術をも取り込んだ持続的農業という方法論だってあり得るのだ。今後、乾燥ストレス耐性など農業環境のシビアな途上国向けの組換え作物も開発されていく。それをどのようにローカライズして、人々の生活を豊かにするのに役立てるのかが、技術を担う者にとっての宿題だ。

※ 私は、経済的に立場が弱いというだけの理由で、発展途上国の人々をこのように呼ぶ姿勢には共感できない

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