”ほうこう”と入力すると、第一候補は”奉公”だった。
”科学者の奉公”となると主題とは、また違った趣がある。

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ほうこう 1 【奉公】 (名)スル
(1)その家に住み込んで、召し使われて勤めること。
 「年季―」
(2)朝廷・国家のために一身をささげて尽くすこと。
 「滅私―」
(3)封建時代、家臣が主君のために軍役などに就いて働くこと。

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 基本的に”フリーの科学者”というのは、ごく珍しい存在で、大抵の科学者は大学、公的研究機関、企業の研究所に所属している。場合によっては、その雇用形態は任期つき採用であったりするので、(1)の年季奉公というケースもあるし、公的研究機関に雇われている場合は、不幸にして(2)の「滅私奉公」である可能性もある。
#(3)は、無いと思う。

 それはさておき、主題に戻る。「科学者は彷徨する存在である。」

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ほうこう はうくわう 0 【▼彷▼徨】 (名)スル
さまよい歩くこと。あてもなく歩きまわること。
「荒野を―する」

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 科学者は真理を探求するために彷徨する。実験室で試行錯誤し、オフィスでインターネットを使って論文を渉猟し、あるいは観察やデータ収集のためにフィールドを歩き回る。
 時には学会の会場をあちこち落ち着きなく歩き回る・・・が、これは彷徨というより、徘徊に近い。

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はいかい ―くわい 0 【▼徘▼徊】 (名)スル
(1)目的もなく、うろうろと歩きまわること。うろつくこと。
「夜の巷(ちまた)を―する」
(2)葛藤からの逃避、精神病・痴呆などにより、無意識のうちに目的なく歩きまわること。

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 意味としてはほとんど一緒なのだが、イメージは相当に違う。「科学者の徘徊」・・・盗賊や変態ではあるまいし。
 科学者の彷徨は、その目標は必ずしもはっきりしていないことが多いが、目的は明快である。目標という場合は、「何を、どの程度、いつまでに」達成するかが求められるが、目的という場合は非常に単純で、それは「何を知りたいか」だけである。
 何を目的として(あるいは何を求めて)研究するかは、人それぞれで人気のある研究分野もあればそうでないものもある。競争の激しい分野の科学者にとっては、研究テーマが独創的であることももちろん重要だが、何にもまして仕事が「速い」ことが求められる。逆に、人気の無い研究分野では、伝統芸能的に10-20年に一人くらいしか専攻する研究者が輩出しないこともあるが、その専門性に対して社会的なニーズがあって、そこそこの業績が残せれば、研究勢力として一世を風靡することは無いにしても、それなりに食べては行ける。
 新聞等で、全ての科学者が名声を求めて研究に邁進しているような論調を見ることがある。あるいは、研究成果から得られる特許収入を適正に配分することで、科学者にインセンティブを与えよ、と。しかし、身近に多くの現役の科学者を見てきた私の目を通した科学者像は、それとは大きく異なる。多くの科学者は未知なるものへの挑戦に強い意欲を持っているが、その成果によって名声を得ようとは思っていない。たまたま、私の所属した研究機関や関連する学会がそうだっただけかも知れない。
 そのような科学者を”道楽系”と呼ぶ向きもある。「好きな研究をして給料がもらえるなら、それ以上の贅沢は言いません」という姿勢の科学者のことである。そのような科学者にとっての最大のインセンティブは名声でも報奨金でもなく、ましてや権威ではありえない。「研究費は少ないけど、2-3年は所属組織の枠にとらわれずにフリーの研究者として働ける」というのが、最も魅力的では無いだろうか。
 さて、フリーになった科学者は、一体何を求めて彷徨するのだろうか?

# ちなみに、私自身は研究者であって技術者ではあるが(このところ、ちょっと寄り道してますが)、これまでのところ自分自身を科学者であると思ったことは無い。というのも、私は気が小さいもので「やればできる」という仕事ばかりしてきたけれども、「やってもできないかもしれない」というハイ・リスクの仕事には挑戦したことが無いから。