# 職業的な専門知識がなければ、以下のような連想はしないだろうな、と思いつつ。

 研究用に開発された遺伝子組換え植物の中には、アクティベーションタギング・ライン(activation tagging line)というものがあります(たとえばこちら)。強発現プロモーターを植物ゲノムにランダムに割り込ませて、その下流の遺伝子を強制的に発現させるというもの。遺伝子を無理矢理発現させているので、まともに生育できないケースや種子を採るまでに途中で死んでしまうケースも多々あるようです。多くの場合、アクティベーションタギング・ラインの作成にはCaMV35Sプロモータという、強力で、しかも植物体の広い領域で転写が始まる植物ウイルス由来のプロモーターが利用されています。

 では、こういうプロモーターを組換え植物の作成に使うと何が起こるでしょう。もし、植物細胞でも動物細胞と同じように、転写が活性化している広い領域で様々な遺伝子の転写が同時に活性化しているとしたら?

 ひょっとしたら、CaMV35Sプロモータで選抜マーカーを発現させている組換え作物等では、本来は発現していない遺伝子が予想外に異所的に転写されているかも知れません。もちろん、植物が本来持っている遺伝子が発現するだけなので、異種生物のタンパク質が大量に蓄積するとか、未知のアレルゲンがどうの、というSF的な状況にはなりません。しかし、いかに食経験のある植物でも、我々は例えばイネやダイズの”根”を食べたことはありません。しかし、もし組換え作物で異所的な遺伝子発現がおこっていて、本来根や葉で発現しているタンパク質を食べさせられるのだとしたら、あまりありがたい話ではありません。

 今のところ植物では、そのような遺伝子組換えによって誘導された異所的な遺伝子発現に関する科学的な知見はありませんので、食品安全委員会で採用している遺伝子組換え作物の食品安全性評価基準を見直すべき理由も何もありません。

# もっとも、誰かがアラビドプシスのアクティベーションタギング・ラインをTiling arrayで解析して、組換え植物では遺伝子組換えによって異所的な遺伝子発現が活発に誘導される、なんて言い出さない限りは、ですが。

 なお、最近の遺伝子組換えイネでは選抜マーカーの発現に組織特異的プロモーターを使っているので、この種の心配は起こらないはずです。

 8月11日の京都新聞より。

RNA増加 未知の機能も
京大グループ、英科学誌に発表
 ある遺伝子DNAが読み取られてRNA(リボ核酸)が作られる「転写」のときに、その遺伝子の近くの領域も活性化して別のRNAも一緒に増えることが、京都大生命科学研究科の西田栄介教授(細胞生物学)、大学院生の戎家美紀さんらの研究で分かった。一見無駄に作られているRNAが未知の機能を果たしている可能性があるという。 英科学誌ネイチャー・セル・バイオロジーで11日発表した。

 ■DNA転写で領域活性化

 マウスの細胞で、細胞増殖などで働く因子MAPKによって引き起こされるRNAの増加を調べた。MAPKによって働く転写因子SRFが結合するDNAの付近を見ると、SRFによって転写される遺伝子だけでなく、少し離れた遺伝子や、タンパク質を作らない遺伝子間領域も活性化し、それぞれのRNAの量が増えていた。DNAを巻き取る「糸巻き」のタンパク質ヒストンを調べると、RNAが増えている領域では糸巻きがゆるんで構造的に転写されやすくなっていることが示唆された。

 西田教授は「転写には、必要な遺伝子だけピンポイントで狙うという従来のイメージとは異なり、波及効果があった。一緒に出てきたいろいろなRNAは、転写の効率を上げるなどの機能を果たしているのかもしれない。なぜ、あいまいな制御がなされているのか突き止めたい」と話している。

 新聞の見出しでは、何がなにやらわかりにくいのですが、この研究を乱暴に要約すると哺乳動物の細胞では、ゲノム上のとある遺伝子が盛んに転写されるとき、その両側の全体で100 kbp位の領域にわたってゲノムが、遺伝子のみならず遺伝子間領域まで転写されているよ、というこです(オリジナルはこちら)。論文の表題の"Ripples"には”波動”という意味もあり、ニセ科学マニアには垂涎の的かも?いえいえ、至極まっとうで興味深い論文です。
 ゲノム全体をカバーするTiling arrayがあると、こういう仕事ができるんですね。この論文では、他にもノザン、RT-PCR、SAGEなど転写産物を測定するあらゆる方法を駆使していて、ゲノムの特定領域のディープ・トランス・クリプトームとも言うべき研究になっています。また、特にハウスキーピング遺伝子について未成熟な産物転写(スプライシングされていないもの)と成熟したmRNAの量比の変動も追っていて、転写レベルの変動ほどには成熟mRNAのレベルは動かないので、ハウスキーピング遺伝子についてはRippleの影響は及びにくい、という考察もあり、かなり仕事が丁寧です。
 ちなみに酵母では転写の活性化が起きるときの領域のサイズは3 kbp位と言われていますから、哺乳動物のそれは巨大です。しかし、この研究で見られたような転写の活性化が、物理的な領域のサイズで決まるのか、遺伝子の密度や染色体上の位置、近傍のゲノムのメチル化等とどのような関係があるのか、というのは今後の課題でしょう。
 翻って植物では、イネ・ゲノムを俯瞰してみると、100 kbpといえばBACクローン1個分くらいのサイズで、遺伝子が複数詰まっている領域もあれば、砂漠のごときなーんにも無い領域もある、といいうことが分かっています。哺乳動物で先鞭のつけられたこの研究と同様の現象が植物でも起きているかどうかは分かりませんが、もし起きているとしたら、結構興味深い現象が見られるかも知れません。