創られた伝統」という言葉があるが、お米のご飯が日本の伝統食であるという主張もまた、一種の創られた伝統であると考えた方がよいだろう。

日本の食生活全集」(農文協)というシリーズものの本がある。昭和初期までの日本各地の食物を各地で聞き取り調査してまとめた労作だ。故あって、中国(岡山広島)、四国(香川、愛媛、高知、徳島)の6冊を斜め読みしてみた。

昭和初期、西日本では麦飯を普通に食べていた。若干の天水田しか作れない島嶼部はもちろん、水田がある開けた平野でさえも、西日本の人々は麦飯を普通に食べていた。

しかし、驚くべきはその「麦飯」の内容である。現在食べられている「麦飯」はお米のごはんに裸麦を1-2割混ぜたものだ(刑務所の麦飯は、大麦が3割らしい)。ところが、昭和初期の中四国の農村では、「半麦飯が食べられるのを願いとする」という状況だったらしい。半麦飯とは、半分裸麦、半分お米のご飯を言う。

では、普通は何を食べていたのか?というと、現在とは違う「麦飯」だ。お米が1-3割、裸麦が9-7割。貧しい家では、裸麦100%をご飯のように炊いたものを指して「麦飯」と言っていたようだ。これは、ご飯というより”ご麦”と言うべきだろう。

少なくとも大正から昭和初期まで、農村に暮らす普通の人々は、ほとんど米のご飯を食べてはいない。

時代は下って、昭和25年12月7日、参議院予算委員会にて。

国務大臣池田勇人君) 
御承知の通りに戰争前は、米一〇〇に対しまして麦は六四%ぐらいの。パーセンテージであります。それが今は米一〇〇に対して小麦は九五、大麦は八五ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。

これが新聞によって、”貧乏人は麦を食え”という有名かつ刺激的なフレーズにダイジェストされてしまった発言だ。米の統制価格は上げるが、麦は価格を据え置く、というのが発言の主旨だ。もともと価格統制の匙加減の話なのだが、それを「経済の原則に副つたほうへ持つて行きたい」というのは合理的なのか。今日的な視点で言えば、売る側の価格にタガをはめておきながら、買う側の自由だと言うのは筋が通らない。

それはさておき、この頃になると昭和初期とは違って、麦飯に占める大麦の比率はどう考えても50%以下になっている(戦前でも平均すると30%台が普通だったようだ)。

今や、小麦は知っているけれど大麦は見たことがないという人の方が多いかも知れない。大抵の日本人は日常的には大麦を食べていないのだから。

”食育”というキーワードの下、もっとお米を食べようという運動が行われている。それ自身の是非を問う気はないが、かつて日本人が何を食べてきたのかをに知らずに、「お米は日本の伝統食」というトンチンカンな誤解をはびこらせるのは良くない。「日本の食生活全集」を見れば分かるが、我々庶民は伝統的にはそれほどたいしたものは食べてこなかったのだ。

今日「伝統食」と言われている栄養バランスの良い、いわゆる「日本型」の食事は、実はデンプン、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルのバランスのとれた配分という科学的知識の裏付によるものであって、食品科学や栄養学の粋だ。それを関係者の地道な努力が世間に広めてきたことで達成し得た教育の成果なのだ。

”食育”の対極に、昔から食べてきたものを普通に食べればよいと言う主張もある。しか
し、伝統や経験の裏付けだけが無条件に良いと考えてはいけない。日本人の平均寿命の伸びのある割合は食生活の”改善”によって達成されてきたと考えられるからだ。何かの習慣が、他のものよりも良いとすれば、”なぜ”それが良いのかという根拠を理解しなければ、教条主義に陥る。

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